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かもめのジョナサン

傍らの何かを通したエッセイを。

ボトルネック

 ぼくは「ボトルネック」という言い回しをよく用いる。社会問題を論じるときや、他人を皮肉るときに便利な言葉だからだ。周りにシステム設計や情報技術、或いはミリタリーに精通している人が片手で数えれるほどしかおらず、この言葉の意味を分かっていないと把握して使っている。我ながら性格が悪いと自嘲するが、こうしてシニカルに育った原因の多くは外的要因であるとしか言いようがないので自己責任ではないと開き直ることにした。
 最初にこの言葉を知ったのは、そうした言い回しと全く無関係のライ・クーダーが小指に嵌めて奏でるギターの方であった。正確にはレモンハートというバーを舞台にしたオムニバス形式の漫画のある話で、アーリータイムズボトルネックを使用してギターを弾くというエピソードを読んだ。この話の元ネタとなったアーリータイムズのコマーシャルが放映されていたのは、ぼくが産まれる前なので知る由もないのだが、妙にこの話は頭に残っている。成人した後、バーに行った際に気取ってアーリータイムズを注文したこともある。十年以上も頭に残っていたその酒の味はというと、特別何の感情も湧かなかった。バーボンよりもスコッチの方が遥かに好みなのだと気づいたのはそれから数ヶ月後にマッカランを飲んで芳醇なシェリーの香りに感動したときだった。
ギムレットには早過ぎる」というのはレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」での有名な一節だが、ぼくにとってはバーボンが早過ぎたのかも知れない。

 しかしながら、こんなに間抜けで、ある意味可愛らしい行為をすることは今後ないだろうと思う。生きるということがまた「ボトルネック」であるのかも知れないと思い知らさらされ続けているからだ。
 瓶の首は細くなっていて、流れを妨げる。そうした「妨げ」がボトルネックである。生きることは何かを知ることであり、同時に失うことでもある。知ってしまったならば苦しまなければならない。それを露悪的に読者に叩きつけるのが本作だった。北陸という舞台も相まってか松本清張が描くような陰鬱な情景を思い起こさせて息が詰まった。作者の名前を見て連想したミステリーではなく、ホラーを読んだ後の感覚だ。

 なので、早めに冬季限定の甘味でも食べたいと思う。

 

 

ボトルネック (新潮文庫)

ボトルネック (新潮文庫)

 

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 村上春樹に最初に触れたのは確か中学生になったばかりの頃だったと思う。小学生のときは足繁く通っていた図書室に、学生服に腕を通してからは訪れることがなかった。そこへ国語の授業の一環で行くこととなった。木陰が蝕んでいて薄暗く蔵書数も心許ないなというのが率直な感想だった。

 その授業中に友人と話していたのが気に障ったのだろうか、口が大きな教科担当の女性教諭に、一冊だけ本を借りるように名指しで言われた。今になって思うと、返却する際に再度この部屋に来る必要があるし、文学と微塵も縁がなさそうな阿呆な餓鬼へ書籍に触れる機会を増やしてやろうという中年の老婆心だったのだろう。

 友人はしぶしぶとオカルト関連のムック本や申し訳程度に置かれている漫画を借りていた。あの教師はそれを半笑いで見ていたように思う。一方で、だらだらと物色していたぼくは、直接急かされて名前だけは知っていた「ねじ巻き鳥クロニクル」の日に焼けた上巻を何気なく手に取った。ぱらぱらと目を通して、スパゲティを茹でる間に泥棒かささぎを流すというくだりがやけに気に入って借りた。村上ショージ村上春樹の違いも分からないのだろうと思っていたのか、あの教諭は存外不思議なものを見るような顔をしていた。けれども、まだ入部したばかりの部活に没頭し、それ以降中学生の頃に目を通すことはなかった。

 ちゃんと読む機会を得たのは、それから数年後、高校に入って、精神を病んでしまってからである。この頃の記憶はとても曖昧で、いつ何を読んだのかも漠然としか覚えていない。同時に数少ない長所として他人から指摘されていた感覚の鋭さというものもこの時期に無くなってしまった。そして、理解してもらえない苦手な事ばかりが残ってしまった。たとえば、片栗粉の新雪の軋む音や感触。全身の水分を持っていかれそうな、背骨に液体窒素を流し込まれたような悪寒が走る。料理も、冬も好きだけれども、この二つはどうしても好きになれない。

 たいていの人は村上春樹作品の主人公と社会的立場が全く違うだろう。勝手な当て推量だが読書を好む人であれば尚更だと思う。しかしながら、こと今作に限って仲睦まじい男女のグループから追放されたり、希死念慮に苛まれたりと珍しく主人公に感情移入が出来るものであった。尤もぼくの場合は、打算的に付き合う男女の関係性に息苦しさを覚えて自分から距離を取ったというのが正しいし、希死念慮はそれとはあまり関係なく高校以来の性格である。いや、悪化には多少はあの頃も関係しているのだけれども。

 精神的に少し落ち着いた今はどうにか、こうやって過去を振り返りながら間抜けな顔でキーボードを叩けている。けれども、もし文字を追うことが出来なかった中学生の頃の感性が残っていたのなら、それからのあらゆることの受け取り方や、人生のモチベーションも違ったのだろう。けれど若さという色彩を失った今となってはどうだったのかは分かりようがないし、これからという可能性も、以前よりも悲惨な目に遭い続けているので到底快復に向かうとは思えない。未来に可能性が残っているということが決定的につくるとは違う点だろう。

 ぼくに深く遺されているスティグマはどの痕なのか分からない。劣悪な労働環境で使い捨てられて棄民と成り下がったからなのか。ノイローゼになった歪んだ高校生活なのか。空虚な馴れ合いを好まないことを否定された大学時代なのか。あるいはその全てが膿んでいるのかもしれない。その代償に辛うじて得たものがあるのかどうかは、これからこのようなレビューなのかエッセイなのか、不明瞭で冗長な駄文を綴っていく中で見出せたらぼくにとっての一つの救いであり、遺書になるだろう。

 

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)