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かもめのジョナサン

傍らの何かを通したエッセイを。

重力ピエロ

掃除の一環として、溜まっていた書類を焼いた。常識的なコンプライアンス上では外部に持ち出すなど以ての外というべきような事が記された書類なのだが、当たり前のように手元にあった。デリケートな内容であり、裁断するだけでは不十分だと思い、庭にコンクリートのブロックと煉瓦で簡易的な竃を作って焼いた。真っ白な紙を食むようにして立ち上がる橙色を見つめていると、不思議と穏やかな気持ちになった。

 

改めて言うまでもないが火というものは神聖視されている。例えば、青森のあのねぶた祭りも元を辿れば火祭りらしい。年がら年中阿呆のように祭りが行われている京都に於いては夏の五山送り火が最も有名だろうか。しかしながらこの地では本来、秋から冬が火祭りの季節であり、夏は水への信仰が中心とされている。火伏せの愛宕祭りも元を辿れば冬に行われていた火祭りである。他にはあまり耳馴染みがないかもしれないが、木枯らしが吹き、虎落笛がなる頃には市内の随所で「御火焚」や「大根焚」と呼ばれる一風変わった火祭りが行われる。後者の「大根焚」はその名の通り、実際に炊いた大根を食べさせてくれる。話題にもなると思うので京都に訪れる時期が合い、時間が許せば是非足を運んでみることをお勧めする。

 

近畿地方から遠く離れ、海外に目を向けるとスペインのバレンシアの街で行われるサンホセのラス・ファジャスは聞いたことがある人も多いだろう。確か、日本テレビのバラエティ番組でも取り上げられていたはずだ。この祭りでは膨大な数の「ファヤ」と呼ばれる張り子人形で街中が埋め尽くされる。参加者は気に入ったファヤを選んで投票を行い、それを勝ち抜いた人形以外はすべからく燃やすのだとか。魔女裁判さながらだと思った記憶がある。

こうして祭りとの関係性が強いということはイコール、宗教にも深く根ざしている。中東で細々と信仰されているゾロアスター教が別名、拝火教とも呼ばれている事は有名だろう。また、キリスト教に於いても聖人ヨハネの前夜祭が火祭りの形質を持っており、これはイギリスやイタリア、ブラジルなどで行われるとも 聞く。
また、この国に戻ると比叡山延暦寺で不滅の法灯と呼ばれる最澄が灯した明かりが今も本尊薬師如来像の前で仄かに輝いている。日本のランドマークと言える富士山もまた火への信仰と深い繋がりがある。

富士山には浅間神社があり、その正式名称を富士山本宮浅間大社と呼ぶ。全国の浅間神社の総本山であり、富士山の南麓と頂上を神体山としている。徳川家康が造営したこの社の主祭神は木花之佐久夜毘売命である。
祭神コノハナサクヤには、あまりにも身籠るのが早すぎた事を夫であるニニギノミコトに疑われ、憤慨したコノハナサクヤは身の潔白を示す為、産屋に火を放ち、三人の子を出産したという説話がある。そうした向きからも火の神と捉えられる事が多い。実際に信仰体系のみならず、娯楽作品である女神転生シリーズにおいてもコノハナサクヤはそのように扱われている。しかしながら、この社に於いては水の神として、富士山の噴火を鎮める為に祀られたとされている。

売り言葉に買い言葉と言わんばかりに火中で出産というのは、これを知った大学にいた頃には神話でお馴染みの突飛な行動のように思えた。これに限らず、うんこを投擲したスサノオといい古事記の内容はなかなかに酷いものも多い。
しかし、ぼくが火にくべたのも周りから見れば同様な突飛な行動のように映っただろう。けれども燃やしていた書類の中には、二枚舌の持ち出し禁止だったはずの書類だけでなく、実際には持ち帰り残業をさせられつつもそれなりに時間を費やして作った物もあった。こうして燃やしたのも、機密保持という観点が一番なのは勿論だが、裏っ側にあったのが自身の徒労への供養だったのか、或いは人間の屑への当てつけだったのか実際の所はよく分からないが、何らかの意図はあったと思う。

伊坂幸太郎の重力ピエロではここまでぼくがまとまりなく、だらだらと書いた文章と同様に、コノハナサクヤの逸話を引用し、こう綴っていた記憶がある。
「火には浄化作用がある」と。
この一文は改稿によって削られてしまったとも聞くし、ドラマだか映画だけの台詞だけだったのか、実のところは曖昧である。
しかし、今のぼくにとってはこの曖昧な言葉がまさしく真理を突いていた。未だに消化しきれていないケガレを浄化したかったのだろうと、灰を崩しながら思った。

 

 

重力ピエロ (新潮文庫)

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