かもめのジョナサン

傍らの何かを通したエッセイを。

青少年のための自殺学入門

体調のバロメーターをどのようにして測るかは各々だと思うが、ぼくの場合は食欲が忽然と消える。脳の電気信号は大火の如く、空腹だと警鐘を鳴らし続けるのだが、悲しいほどに喉を通らない。代わりに雑に酒を呑むようになってしまう。カロリーだけはある。

しかし、悲しいかな、金銭的にゆとりがないので野口二枚のジャックダニエルすら買うのを躊躇してしまう。結果として、発泡酒を流し込み、つまみも炙ったイカではなく、銀色のシートに並んだ錠剤である。子どもの頃であれば、その中は極彩色の着色料で塗りたくられたチョコレートなのだが今は苦い白い薬である。リストカットとは異なる見えない自傷行為をやめられずにいるのである。現実逃避をするのには身体を痛めつけなければならない寸法である。救われないと分かった瞬間、人間は自棄になるのだと常々実感した。周りは見て見ぬ振りをしているのか分かっていないのかはさておき、今しがた、ぼくは生と死のボーダーラインの上にいるのである。

こんな精神的に危ういぼくが飛び降りるのを差し押さえてるのは寺山修司の思想なのだと思う。家族も含め周りの人は夢想家であり、もし死を選んだのであればおよそ体裁ばかりを気にするだろう。悲しんでくれるのは幼馴染みだけだろうか。

彼には以前、彼にこう話したことがある社会的に窮困して自殺をしたのであればそれは社会による他殺ではないかと。全くの受け売りであるが、彼は成る程と素直に納得をしていてくれた。この本で述べられていた何かが足りないために死ぬのは全て他殺という言葉はまさしくそれなのだと思う。

 

ぼくは遅かれ早かれ、最終的には自ら命を絶つことになるだろう。これは実際に関わってきた人々による人と社会が、ゆっくりと、一突きずつ、或いは複数回刺し抜いた大規模なオリエント急行殺人事件である。

死後も彼らにその自覚が生まれることはないだろうし、すぐさま塵芥としてなかったことになってしまうだろう。

 

「じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんをきずつけたり、ときには殺すことになる。そのため、たにんをまきこまずには自殺もできない時代になってしまったことを、かんがえながら、しみじみとえんぴつをながめている。」

この書籍の後書きにはこう綴られていた。けれども、もうそうした時代は終わってしまったのだろう。

 

 

青少年のための自殺学入門 (河出文庫)

青少年のための自殺学入門 (河出文庫)