かもめのジョナサン

傍らの何かを通したエッセイを。

人間は料理をする

私が食事に関して並々ならぬ執着を持っているということは以前言及した。それ故、その題からしてこれを読まずにいられないだろうと薄ぼんやりと思っていた。

本書は博識な筆者の体験談と薀蓄に加えて、些か大仰な誇大妄想とこの三つの要素が軸となっている印象を受けた。個人的にだが、このようなスノビズムの匂いに近しい阿呆のような論理構成は好みである。

上巻に於いて尤も印象的なのはアップルサイダー・ビネガーというものがどういう味なのかという引きこもっている日本人ならではの疑問と、バーベキューの原型は贄を神に捧げる儀礼的な物であり、中でもプロメテウスの逸話を引き合いに出した「火の簒奪は肉の略奪」というのは面白いと思った。

私は大学にて火の信仰も研究対象としていたので、この着想は非常にユニークであると思った。このような視点からの切り口もあるのかと。

プロメテウスの火」はフレイザーが提唱したバナナ型神話*1と呼ばれる変形の一つであるという一般的な認知を持っていた。火が暗喩的な存在であるというのは飛躍しているようであるとは思うし、このエピソードそのものも諸説あるので必ずしもこれが正しいと言い切れるわけではないのだが。

 

料理とは儀式的で魔術的な側面があり、ソーシャルを形成する上での宗教儀式的なファクターとしての役割があるとは常々思っていたが、このように(多少大仰だけど)言語化されると痞えていたものが下がったような気がした。

「料理決定論」とでも例えるべき表現は少しばかり大袈裟な気もしないことはないのだけども、科学的・考古学側面からの考察も引っくるめて非常に面白い本だと思うのであった。

 

普通の書評になってしまった。まあいいや。

 

人間は料理をする・上: 火と水

人間は料理をする・上: 火と水

 

 

 

*1:神が人間にバナナと石を選ばせた際に不変の石ではなく、バナナを選んだから命は有限になったという東南アジアやポリネシアの方で多く見られる説話